2008年3月17日 (月)

善鸞の墓が風化

茨城県笠間市福原に、善鸞の墓があります。ここは、学会の調査により、ほぼ間違いないとされているところだそうです。

昨年8月、水戸短期大学名誉教授・園部公一氏が尋ねた様子を、『中外日報』(9月11日)に寄稿されています。

第1回目の調査(1973年)では読み取れた文字が、すでに墓石がかなり風化し、判読が困難になっていると書かれていて、地元でも関心が薄いことが伝わってきます。
そんな中、近所のご夫妻が保存に努めてこられたようですが、園部氏の説では、どうやら江戸中期に建立されたものではないか、と述べられています。

善鸞については、以下のように紹介されています。
歴史に「もし」はありませんが、善鸞が"もし"親鸞聖人の心にかなう活動をしていたならば、どうなっていたでしょうか……。

善鸞というのは親鸞聖人の長男と目され、稲田草庵(笠間市)で成長した人物である。建長年間(1249-56)、原始真宗教団内で続発した異義をただそうと父の名代で関東に下り、やがて性信など有力門弟たちと対立するようになる。実子という立場を利用して指導的地位を占めようと策動する一方、聖人の教えに反する布教により大きな混乱を招き、建長8年(1256)についに義絶されるにいたった。
善鸞義絶事件と称されるもので、研究者の中には事件を架空とみる者もいるが、以後、善鸞が真宗史から姿を消したのは事実である。聖人84歳、善鸞50代半ばと推測されるが生没年は一定しない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)