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2009年9月17日 (木)

本願寺新報の言葉遣い

今年1月20日の「本願寺新報」1面の見出しは、

親鸞聖人の遺徳偲び
お救いを心に味わう

でした。
「お救いを心に味わう」って、どういうこと?
この問いに分かりやすく明瞭に答えられる人って、いるんでしょうか……。

ちなみに同じく1面で、1月11日の「本山成人式」の模様が報道されていますが、そこでの大谷光真門主の言葉は、

日々の生活は損得や勝ち負けなどの事柄で埋め尽くされているが、仏教の智慧、阿弥陀如来の智慧と慈悲にテラされることで、いのちそのものが尊く、支えられながらそれぞれが大切なひと時を過ごしていることに気付かされる。その気付きが豊かな人生へとつながる

だったと書かれています。

たぶん、門主の言葉はもう少し具体性があったと思うのですが、上の記事と同じく、記者がぼかしてしまったんじゃないでしょうか。
だって、この言葉を聞いて、「貴重なご縁をいただき」「感謝の思いでいっぱい」という気持ちになりますか?
意味分かりますか?

やっぱり、話をするからには、相手に意味の通じる言葉で話さないと、伝わらないでしょう。
門主さんの真意や如何。

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2009年9月 2日 (水)

大遠忌アーカイブズ5

大遠忌アーカイブズ5(「中外日報」平成20年2月19日付)では、親鸞聖人700回大遠忌当時と現在との僧侶の数を比較しています。

昭和35年末 20595
  ↓
平成19年4月 32124

1.5倍以上に増えています。すごいですね。

さて、その中に、次代を担う青年はどれくらいいるのか。
仏教青年会の数も比較されています。

昭和35年末 983単位
  ↓
平成19年4月 272単位

4分の1近くにまで減っています。

最近は、定年後に「僧侶」になる人が増えているそうです。
しかし、人生を仏教にかけようとする青年は、どんどん減少しているようです。

記事の中でも、

「私たち青年は熱心に求めているが、現在の真宗説教には何ら心惹かれるものがない」
「余りにも通俗的でありふれたしかも老人相手の法話にかたよりすぎ、若い青年男女のお詣りはほとんどない」

という声が紹介されています。
しかもこれが700回大遠忌当時のことだというのですから、今日にいたっては何をかいわんや、です。

現在、これではいけないと感じている青年僧侶は多くいるはずです。
それらの皆さんは、どうすればよいとお考えなのでしょうか。
ぜひご意見を伺って、率直に話し合ってみたいものです。

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